この事を書き記すか、ずっと考えていました。




私は・・・

約2週間前、堕胎しました。

苦渋の選択。

尊い命を奪ったのです。


私たちは結婚していない。

仕事もできない。

お互いに病気。


私は、病気が回復段階にあり、

以前、先生からは、もう子供も産めるぐらい良くなったのよ。

と言われていました。

勿論、そうなったら断薬しますと。


私は妊娠が分かったとき断薬を覚悟し、

産みたいと強く思いました。


ですが、障害者年金で暮らしている彼は、

産んで欲しいけど、経済的に育てられないと。


働くこと、シングルマザーになること、いろいろな事を

考えました。

2人で沢山話し合い喧嘩もし、泣かない日は無かった。



唯一相談したのは姉。

苦肉にも姉は妊婦。

余計な心配をかけたくはなかったけれど、

この歳になり親にこれ以上頼ることはできなかった。


第三者からみても、

中絶・・・

その選択がお互いと、赤ちゃんのためだろうと・・・


産めないなら、育てられないなら、

なぜしっかり避妊をしなかったのか、

それ以前にそんな行為はしてはいけない。


いろんなサイトも見ました。

そしてお互いに病気でもやることはやるんですね、など。

厳しいお言葉もいただきました。


自分自身、冷静を保つことで必死でした。

嫁いだ姉以外、家族は知らない。

普通に過ごさなければと・・・。


最初の婦人科の検診。

先生から、妊娠5週目ですね。

そしてよく考えるようにと。

彼との話し合いは毎日電話で・・・

そして私は・・・中絶を決断した。


次の検診、先生から順調ですよ。と。
それなのに、中絶を告げなければならなかった。

手術の日程を決め、同意書を貰う。


彼の元へ行き同意書を書いてもらう。


そして・・・
手術前日の処置

手術当日・・・


もう、ココロはボロボロだった。
それでも、冷静を装って。


彼の家はウチから電車を乗り継がなければならない。
彼もまた、体調を崩し、
最初の検診から手術当日、
そのあとの検診まで立ち会うことが出来ず、

私は一人全てを終えた。

罪悪感、喪失感、全てに押しつぶされそうな毎日。

そして、費用は、お互いの責任だから半分ずつ。

でも、彼は手術費の半分。生活が苦しいということでそうした。

あとの費用は姉に借り私が少しずつ返していくことに。


何もかも本当に子供だったと思う。


彼は彼の出来る範囲で支えてくれている。
同意書を書いてもらって以来まだ会っていない。
私の具合が悪く会いにいけないから。




私はひとり・・・水子地蔵さまにお参りに行った。



どんなに悔やんでも返らない命。

私は人殺し、我が子を殺した。


自分たちのために犠牲になった赤ちゃんのためにも
元気に、笑顔で過ごさなきゃって思う。

だけど現状は、うつ症状が酷くなってきている。
もうずっと起こしてなかった発作が起きたり・・・。

あれから、涙を流さない日は無い。


赤ちゃんが教えてくれたぬくもり。
命の大切さ。
たくさんのこと・・・。


毎日、ごめんなさい。と、ありがとうを繰り返す。

決して許されない罪を背負って・・・私は生きる。

寿命をまっとうしなければならない。



どんなに苦しくても、死にたくても・・・。










そして・・・
今年6月、姉は出産する。
安産であるようにと心から願う。